若松監督の『キャタピラー』

きのう(17日)の深夜…映画監督の若松孝二監督が亡くなられた。
76歳だったそうです。
12日に交通事故で運ばれた時は、意識もあったという情報もあり
突然の事で、その情報が正しかったのかどうかも疑わしいとの説も出ている。
 
たくさんの作品を撮られた監督さんなのでしょうが…
わたしは『キャタピラー』しか観ておりません
しかし!その1本だけで、監督の名前がインプットされてしまうくらいに
キャタピラー』は強烈な映画でした
 
まぁ…『キャタピラー』を観るきっかけになったのは
第60回ベルリン国際映画祭で最優秀女優賞を受賞した寺島しのぶさん。
そういう方多いのではないでしょうか…
最優秀女優賞とった作品だから~観ようかなぁ…
そんな軽いノリのわたしには…あまりにもハードで重い作品でございました
 
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<あらすじ>
1940年、シゲ子(寺島しのぶ)の夫・久蔵(大西信満)は盛大に見送られ、勇ましく日中戦争の戦場へと出征していった。4年後、シゲ子の元に帰ってきた久蔵は、顔面が焼けただれ、四肢を失い、口もきけず、耳も聞こえるかどうかの
無残な姿であった。村中から奇異の眼を向けられながらも、多くの勲章を胸に、“生ける軍神”と祀り上げられる久蔵。
四肢を失っても衰えることの無い久蔵の旺盛な食欲と性欲に、シゲ子は戸惑いつつも軍神の妻として自らを奮い立たせ、久蔵に尽くしていく。四肢を失い、言葉を失ってもなお、自らを讃えた新聞記事や、勲章を誇りにしている久蔵の姿に、やがてシゲ子は空虚なものを感じ始める。敗戦が色濃くなっていく中、久蔵の脳裏に忘れかけていた戦場での風景が蘇り始め、久蔵の中で何かが崩れ始めていく。そして、久蔵とシゲ子、それぞれに敗戦の日が訪れる……。
 
<感想>
重すぎて重すぎて…
親でも見捨ててしまう状態の夫。
冒頭のシーンで
実の父親が「こんな状態で帰って来られても…」まさに家族はそうなんだと思うわ。
妹が「義姉さん実家に帰さないでよかった」と本音まで飛び出す。
それでいて「戦争の英雄なのだから、そんな夫を持てた妻は素晴らしい!」と
本当に他人ごとの言葉を与えて、やっかい者の世話を任してしまう。
手にかけてしまう妻の気持ちもわかるわ。
まわりからは「軍神」とまつられ敬われる。
しかも、、出征前の夫は、暴君で妻をなぐり、暴言を浴びせていた。
そんな二人の間には愛はないように思える。
妻にあるのは…良妻であるようにしなければならないという義務感。
自分を称えた新聞記事や勲章しかない夫。
「食べて寝て、食べて寝て、食べて寝て…」その繰り返しの生活。
閉塞感が重くて重くて…苦しくなる映画。
「イモムシ」扱いしたくなる気持ちもわかるし、
夫を見世物にしつつ、自分は「妻の鏡」扱いを受ける=虐待?
そんな気持ちもわかる。
それが人間だと思うもの。
現代だったら…ねぇ。手にかけておしまい…
あっ…最初の数分で終わってしまうかぁ…
 
低予算で12日間で撮影したとの事。
若松監督の反戦に対する熱いメッセージが伝わってくる映画でした。
最優秀女優賞を獲得した寺島しのぶさんはもちろんですが
戦争前から暴君であり、戦争によって身体の自由を奪われ、
それでも本能のまま妻に命じる夫で、やがて自らの行動に苛まされ
壊れていく夫を演じた大西信満さんも素晴らしかったと思います。

反戦映画なのでしょうが…
事故や病気や加齢で介護をする・してもらう事は…他人ごとじゃない話。
明日のわが身…。
みんなにあてはまる…あてはまりそうな映画。
そして…
夫婦といえ~結局他人ですから(笑)
意志の疎通のできない夫婦なんて…それこそ石投げれば当たりますよ!
と思っているのはわたしだけでしょうか?(笑)
あ~いろんな意味で考えさせられる映画でした。
 
そんな映画を残してくれた若松監督のご冥福をお祈りいたします。