2011年3月11日から1年

あの大震災から…本当に早いもので、1年が過ぎました。
1週間前くらいから、それに向けてメディアで取り上げられてましたね。
 
昨日は、その時間(午後2時46分)
娘はバスケ(部活)で、あとから聞いた話だと…体育館で黙とうしたそうです。
私は、、、家で、朝帰りの息子と(別々の場所でよ)黙とうしました。
 
一応~被災地であり、我が家の壁紙にはその傷跡が…(直せない)
それでも、、大切な人を亡くされた方々や家を失った方々の想いには
到底及ぶはずもなく、、、
ただ安らかに…と祈るだけでした。
 
2011年3月11日午後2時46分
この日は、旦那さんの着任日で(初の単身赴任)
私は…旦那さんとは別にその赴任地の社宅の掃除を終わらして
高速に乗ろうとを運転中でした。
突然!道路が左右に揺れる感覚(船の揺れのような感じ)を覚え、
正面の大きな表示板が左右に尋常じゃなく大きく揺れているのを目の当たりして
まるで~映画の1シーンのように思えた。
すると…右下のパチンコ屋さんから
人が蜂の大群のように一斉に飛び出してくるのが見えて
何が起こっているのか…理解不能だった
 
地震が起こる前…ナビ(TV)が突然見えなくなった
(受信できない状態)
そして…何が起こっているのか、、、まだ解らない中
途切れ途切れで見えるTV
千葉のコンビナート火災が映し出され
「これが日本で起こっている出来事なんだ」と理解するのが嫌なくらいの画だった…
 
信号機の機能が停止している国道
数珠つなぎの車
それでも…日本人ってすごいなぁ!と思った…譲りあいの精神。
 
旦那さんにも家にも実家にも連絡がつかない…
この日の6時に娘の歯の矯正の初診が入っていたなぁ
そこにも電話するけれど…つながらない
 
高速道路は封鎖。
渋滞する国道…途中、空港への道も通行止めとなって、、迂回。
その道でみた壊れた商店街・道路。
通常ならば…1時間の道が、、、4時間以上かかってようやく家に到着。
3月の7時はまっくら
それでも…途中で、義父と義母と娘が無事であることが確認できていたので
その点は安心していたし
息子の学校からは、メール配信で
全員無事でいること。家の方の安全が確認できる家庭は無理のないように迎えにくるようにとのこと。
真っ暗な家の中に入ると…
小学生だった娘は、泣きが入っていたし
リビングは無残な状態であることがわかった
用意周到な義父のおかげで
ラジオ・懐中電灯が確保されていたが…
余震の続く、真っ暗な中、やることはない。
息子を迎えに学校へとを走らせるが…
こちらも渋滞
通常だと往復で30分ぐらいの道を往復で3時間近くかかった。
それでも家に帰れず、学校で夜を過ごさなければならない生徒さんの事をおもえば
なんてことない。
 
11時近くに家に戻ってみると…
娘はすっかり寝ているし(余震続いてます)
義父も義母もパジャマに着替えて…布団もひいてある
息子にいたっては…二段ベッドで寝るという…
 
余震の恐怖から車中で夜を明かした…
そのような人もいる中、、、なんだか、図太い家族だった
 
あの日から1年過ぎたんだなぁ…
 
まだまだ、、、前を向く事が困難な人たちもいる。
時という流れがいくら流れても癒えないものもある。
それでも、、、やはり生きていかないと。
 
忘れることのできない20110311
忘れてはいけない20110311