AEDの必要性

3年前、交通事故により大けがをした同級生が
3年もかからず、10キロを自分の足で完走した。
まさに奇跡のようなできごと
 
私は、彼女の事故の1年前に「奇跡」を目の前で見ている。
 
今から4年前の12月中旬の日曜日
隣町で中学サッカーのリーグ戦が行われていた。
 
息子の隣を走っていたチームメイトが突然倒れたのである。
ボールがぶつかったわけでもなく、人と接触があったわけでもない。
 
彼は健脚の持ち主で、その1か月前の「マラソン大会」でも
2年連続で6位入賞(300名中)をはたすくらいの持久力と走力の持ち主。
 
その日も、よく走っていたので・・・
「足つったのかなぁ」ぐらいに思っていたのだが・・一向に起き上がらない。動かない。
 
彼の身に何が起こったのか・・・・心臓停止信じたくなかった。
信じがたい光景が目の前で起こっている。
 
そこの中学のサッカー部の顧問の先生が「AED」を持ってきて、
うちの顧問の先生が人工呼吸を施し、
観戦にきていた父兄で医師の方が心臓マッサージをして・・「AED」を使用。
AED」を使用できる=心臓が停止している
蘇生ができ、2度目の「AED」の施行にはならなかったので
心臓が弱いながらも動きだしたのである。
その動きを大事に大事に、的確な心臓マッサージが繰り返される。
 
自動体外式除細動器(じどうたいがいしきじょさいどうき、Automated External Defibrillator, AED)は、心室細動の際に機器が自動的に解析を行い、必要に応じて電気的なショック(除細動)を与え、心臓の働きを戻すことを試みる医療機器除細動器の一つだが動作が自動化されているので施術者は医師である必要がない。
 
AEDによる除細動の施行と併せて、そばにいる者が胸骨圧迫心臓マッサージ)・人工呼吸を継続して行うことも救命のために不可欠である。
実際にAEDを一般市民が使うケースは非常に多いと考えられる。日本では救急車が現場到着するまで平均で約7分を要するが、心室細動の場合、一刻も早く電気的除細動を施行することが必要とされており、7分も待つわけにはいかない (カーラーの救命曲線によれば心停止3分で死亡率はおよそ50%)。救急車の到着以前にAEDを使用した場合には、救急隊員医師が駆けつけてからAEDを使用するよりも救命率が数倍も高いことが明らかになっている[1][2]。こうしたことから、AEDをなるべく多数配置するとともに、一人でも多くの住民がAEDに関する知識を有することが非常に重要だとされている。
 
昨今、よく目にするようになった「AED
2004年に一般人も使用できるようになったというが
2007年のこの時期、まだまだ普及されてなかった。
(現在でも、わが県はその普及率は高くない)
AED」を使用しても救えない命はあるとは思うけれど
公的な施設はもちろん、スポーツが行われている施設・団体は携帯する必要性があると思う。
そして、運動部の指導者はその講習を受けるべきかと思っています。
 
試合会場であったその中学では、少し前に「AED」の設置と講習があり
サッカー部の顧問の先生が受けていたという。
そして、その「AED」が校内ではなく、グランドの近くに設置されていたのである。
後から聞いた話によると~その町で「AED」を設置しているのはその中学だけだったそうな。
奇跡の連鎖がはじまっていたのである。
 
今だから~こうしていられるけれど
小心者の私は・・・保護者の方に連絡をとるだけで精いっぱい
事実を伝えられないと思っていたので・・とにかく、こちらまで来てくれるように伝えた。
 
救急車が来るまで、心臓マッサージが繰り返され・・・
一番近くに総合病院へ運ばれることになったので
その旨を保護者に伝えて間もなくその病院では難しいとのことで、
わが家の近くの総合病院へ(旦那さんが動脈瘤を手術した病院です)
そのことを保護者の方に伝えたところ・・・「ただごとじゃないことがおこっている」と感じてしまったそうです。
 
心臓が停止したことにより、脳が腫れてしまい・・・脳低温治療が施された。
ICUの先生の話では
AED」の使用・的確な蘇生と心臓マッサージ・・・
病院へ運ぶことができたことを幸運と思ってください。
すべてがいい方に連鎖したのである。
でも・・言い換えれば、最悪の状況になった可能性が高かったという事でもある。
そこにいた誰もが・・・彼のこれからの険しい道を危惧し
ご両親の辛さを想い・・何も言えずにいた。
 
翌日、彼のところへいくと・・
先生や看護師から「長期戦で」と言われたと話すご両親が・・。
辛いと思うが~頑張ってほしい。ただそれだけだった・・・
でも・・そのことを口には出せなかった。
彼は、息子が中1のクラスで近くの席になって知り合い
走ることの好きだった彼をサッカー部に誘ったのである。
サッカー部に入っていなければ・・こんなことにならずにいたのでは?
と・・・そんな想いもあり、何も言えなかった。
 
 
しかし!奇跡は起こったのです。
彼が倒れて、40時間になろうとしていた時
ICUの控室にいたお母様が「早くきてください」と呼ばれた・・
(お母様はその時覚悟した・・とおっしゃっていましたけれど)
その目の前には!
ICUのベットに座っている彼の姿が!!!
看護師さんによると~脳の腫れがおさまってきたので、麻酔をはずしたこところ
彼が目を覚まし「ここはどこ?」と聞いてきたというのである。
看護師さんも驚いて、名前を生年月日を聞いたところ
ちゃんと名前と西暦で!生年月日を答えたというのである。
 
その頃、私は・・・
同級生の部員に色紙を書かせ、各家庭で100匹の千羽鶴を作ってもらった。
その鶴を折っていた時に、お母様から連絡が「目が覚めたの・・・」
 
急いで病院へ行くと・・・
ちょうどICUの先生が控室に来て
「私どもの方でやることはありません。一般病棟へ移ってもらいます」
とニコニコ顔でおっしゃってくれたのです。
 
間もなく、この48時間に何があったのかさっぱりわからない状態の彼が
いつもの・・はにかんだ顔で車椅子で一般病棟へうつっていった。
 
倒れている彼の顔が頭からはなれなかった私・・・
本当の本来の彼の顔で、その顔を消してほしかった!
それがこんなにも早くきてくれるなんて♪
 
脳低温治療のため、免疫力も落ちているし
何より原因を調べるために~3週間ほど入院した彼。
次の日曜日~息子をはじめサッカー部4人で訪ねていくと
いつもの彼がそこにいた。
倒れた当日の記憶がまるで抜けているそうだ。
 
原因は・・・先天性心疾患。
心疾患で有名な都内の病院で手術し
今~彼はサッカーはできないが、仲間たちと一緒に笑っている。
 
あの48時間はなんだったのだろう・・・
生きていることの意味や
ただそこにいるだけのありがたさ。
命の脆さと強さを教えてもらった・・・
 
奇跡は起こるからこそ奇跡なんだよね